投稿日:2006-10-27 Fri
ようやく外に出た頃には日もすっかり暮れ、ライトアップされた首里城が別の顔を見せていた。

今勉強してきたことを踏まえて見る首里城からは、最初に入ってきた時とはまた違った感情が沸いてくる。
多数存在した海賊のような集まりを、一つにまとめ創り上げられた琉球王国。(※1)
その絶対的象徴として首里城は存在し、中国に優遇され貿易の力をつけていったことでその姿は絢爛豪華さを増していった。
今、ライトアップされた正殿を誰も居ない静けさの中見上げている。
私が立っているこの場所から御差床(※2)に座る国王に平伏す多くの人々がいたんだなぁ。
ここには人々の生活が確かにあった。そう心の底から感じてた。
450年栄え続けた王国の名残を噛み締めながら、来た道を歩いて戻る。

今見てきた首里城公園の周辺には他にも多くの歴史的観光スポットが点在する。
世界遺産に認定された「玉陵」(※3)や識名園(※4)など、見ておきたい場所は多々あれど、日も暮れお腹も空いた。
また次回のお楽しみにとっておく、ということでホテルへ戻ることにした。
ホテルに戻った私達は、荷物の整理も早々に外へ出かけていった。
目の前を通る国際通りは、夜でも活気に溢れワクワクさせてくれる。
たくさん軒を連ねる沖縄らしい土産物屋を横目に早足で向かった先は、
「ステーキハウス88」沖縄県産和牛の極上ステーキが味わえるお店だ。
国際通りのほぼ中央、大きな牛の看板が目に入った。

こうして、慌しい沖縄観光1日目は過ぎていった。
(※1)
15世紀前半、尚巴志(ショウハシ)によって琉球は統一された。
(※2)
御差床は、正殿二階にある大庫理中央にある金の龍に囲まれた国王が座る場所。
その後方には「おせんみこちゃ」と呼ばれる国王と女官が毎朝国家の安泰や子孫繁栄を祈願したとされる場がある。
(※3)
玉陵(タマウドゥン)は、尚真王が父・尚円王の遺骨を埋葬するために1501年に造った墓であり、以後第二尚氏王統の陵墓となった。
墓室は3室あり東室には国王と王妃、西室には王族関係者が葬られている。
(※4)
識名園(シキナエン)は、1799年に造られた王家の別邸である。
廻遊式庭園で池の周りに石橋や堂などが設けられている。
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投稿日:2006-10-27 Fri
殿内すべてが歴史資料館である。私達は復元された殿内をゆっくりゆっくりと進んでいく。
立ち止まり、360度見渡せば時空を越えて琉球時代へ飛んでしまいそうになる。


アジアの中心に浮かぶ沖縄諸島。
琉球王国時代、その好立地のため諸外国に脅かされてきたようだ。
しかし、その好立地を利用して中国を中心に日本や台湾などと貿易を盛んにし、力をつけ繁栄していった琉球王国。
殿内にはその栄華の時代に集められた芸術品の数々が並べられている。
そして、建物自体が芸術品となっている。
貿易を通して得られるのは金銀財宝だけでなく、文化や技術の発達をももたらす。
ここ首里城にはそんな貿易で得た、木工・石造・彫刻・焼物・漆芸など技術が随所に活かされている。
琉球独自の技術に、中国や日本の技術が加わり、他に隋を見ない高いレベルの技術者たちが育まれていったことが感じられる。
それは和のような中のような・・・しかし、日本のものとも中国のものとも違う。
琉球独自の文化が完成しているのだ。

殿内の説明書やオットの解説を聞きながら、王国時代に想いを馳せる。
なるほど。と思うことが沢山あり勉強になる。
正殿を抜け、北殿を通り出口まで進むと手前に上映コーナーがある。
首里城復元への道のりをまとめたビデオが流されていた。
ちょうど歩きつかれたし、休憩がてら見て行こうか。
そう思い座り込む。
しばらく見ていると、途中から見始めたので最初に戻るまで見ておきたくなった。
もう終わるだろう。もう終わるだろう。と、見ているうちに入れ代わり立ち代り周りの人々が変わっていった。
ようやくビデオを見終わった頃には1時間が経過していた。
気がつくとあれだけ居た人の気配が全く感じられない。
おやおや。閉殿の時間が迫っているようだ。
結局そこで学んだことは、正殿の朱色は最後まで確証がなく、存在していた頃を知る一人の大工さんの「アカかった気がする」の一言で今の色が決定されたということ。
思わず突っ込みたくなるような嘘のような本当の話に笑う。
もちろん色々な研究が裏にはあるのだろうけれども。
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投稿日:2006-10-26 Thu
私達は再びR58を走り、高速に乗り、日が沈む前に戻ってきた。車を駐車場に停め、少し歩くと見えてきたのは世界遺産。
園比屋武御嶽石門(※1)である。

そう。首里城(※2)を見学しにやってきたのだ。
それにしても唐突に、なんとも自然に現れた石門。
世界遺産だというのにそんな警戒感ゼロの姿に親近感を覚える。

首里城公園へ入ると、朱く染まった壮大な正殿(※3)がそびえ立っていた。
うわぁー。と、思わずため息がもれる。
本当に来たんだな首里城に・・・。と、妙に実感が湧いてきた。
テレビなどでよく目にしてきた「首里城」のイメージが、今まさに目の前にあったのだ。
煌びやかに飾られた正殿。国王の象徴である龍がそこかしこに散りばめられている。
御庭をグルリと囲むように南殿(※4)・正殿・北殿(※5)が建っている。
その要所に職員の方が警備として立っている。
仰々しい衣装を身にまとい、凛と立つ姿には少々緊張してしまうが、思いきって声をかけてみた。
まずは挨拶からが基本。ということで、笑顔で挨拶。
素敵な笑顔が返ってきた。あたりまえだが日本語が通じた。
そして、着ているのは琉球国時代の官人の衣装だと教えてくれた。
近くで見せてもらうと細かい刺繍が施されており、綺麗。
一緒に写真も快く撮ってくれ、なんとアングルまで考えてくれた。
沖縄に来て最初のコミュニケーション。噂通り親切だと感じた。
現地の方と知り合えば、そこはもう自分の庭のようなもの。
すっかり気分を大きくした私達は番所(※6)から順路に沿って進んで行った。
(※1)
園比屋武御嶽石門(ソノヒャンウタキイシモン)は、守礼門と歓会門の間にある石門で門扉以外は琉球石灰岩で造られている。門の後方に広がる森が聖地とされ、石門は拝殿の役割を持つ。かつて国王が城外へ外出する際ここで安全を祈願したという。今でも信仰を集め参拝者が後を絶たない。
尚真・しょうしん(在位 1477〜1526年)によって1519年に創建。
築造者は竹富島出身の西塘(にしとう)。
1972年5月 国指定史跡指定
2000年12月 世界遺産「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」登録
(※2)
首里城は、14世紀末に創建された中国や日本の文化も混合する琉球独特の城。琉球の中枢として機能していた。
3度の火災や沖縄戦での破壊、そして明治期には売りに出されたりと悲運な運命にあう。
1992年に復元
http://www.shurijo.com/index.html
(※3)
正殿は、首里城の中心的な建物である。木造三階建てで、一階は「下庫理(シチャグイ)」と呼ばれ主に国王自ら政治や儀式を執り行う場、二階は「大庫理(ウフグイ)」と呼ばれ、国王と親族や女官らが儀式を行う場であった。三階は通気のために設けられた屋根裏部屋。
1712年に再建され、戦前まで残っていた建物をモデルに復元
(※4)
北殿(ホクデン)は、正殿を正面に向かって左手にあり、王政の中央行政庁として日常は大勢の官人が出入りし、首里城の中でも最も活気のある館であった。
中国の使者「冊封使(サップウシ)」を接待する場所としても使用され、またペリー提督が首里城を訪れたときもこの北殿で歓迎の宴が催された。
(※5)
南殿(ナンデン)は、正殿を正面に向かって右手にあり、主に日本的な儀式や薩摩藩の接待所として使用されたところである。塗装を施したという記録が無いため、番所ともに白木のまま仕上げている。
(※6)
番所(バンドコロ)は、南殿の左側にあり、正殿を訪れる人々の受付や国王への取次ぎなどを行っていた場所である。
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投稿日:2006-10-24 Tue

大きな美ら海水族館を出ると、近くに小さな施設が2つ並んでいる。
ウミガメ館とマナティー館である。
大盛況の美ら海水族館に比べて、ひっそりと佇む2館の中は閑散として寂しげだ。
だけど人ごみの中を歩いてきた私達にとっては、このユルイ感じがたまらなく居心地が良かった。
どちらかが「そろそろ行こうか」と言い出すのを待っている。二人とも動く気配は無い。
そこには亀が泳いでいる。ただそれだけなのに。
たった二人の水族館。
しばらくボーッと無言で佇んでいたが、やっと歩き出した。
充電完了。
外は少し光が差してきていた。

行きには気付かなかった大階段の花を愛でながら、駐車場へ向かう。
そして、駐車場の風景に思わず笑った。

どれが我が家のマーチやら・・・。
「わ」ナンバーの同系型車の陳列会と化していた。
ピッ♪
遠隔キー操作に可愛く反応した1台。
今回の旅の相棒だ。
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投稿日:2006-10-24 Tue

壁一面に貼り付けられたサメの皮を「なるほど、鮫肌ってこうゆう肌触りを言うのか」なんて触りながら進んでいくと、「サメ博士の部屋」に辿り着く。
ここは、サメに関する情報が集結されたサメ尽くしの部屋。

じっくり勉強すれば誰もがまさに「サメ博士」になれそうだ。
根性の無い私には遠い博士への道のり・・・今回は丁重に辞退させていただこう。
・・・。

外に出ると相変わらずの曇り空。
ボンヤリと対岸に伊江島(イエジマ)が見えた。そこにオットの幼馴染が居る。
「おーーーい!近くまで来たよー!」と電話片手に島に向かって手を振るオット。
間違いなく見えてはいないだろうが、電話越しに旧交を温めたようだ。
泳いでも行けそうな距離に感じるのに、台風の余波の影響で連絡船が出ない今・・・なんとも遠い国のように感じてしまう。
「こっちは今、帰れなくなったダイバー客でいっぱいだよ。海に潜ることも島を渡ることも出来ないから軟禁状態でさぁ、朝からみんな飲んでるよー。」
そんなオットの友人の話に、離島に行く予定を入れなくて良かった・・・と、心底思った。
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*画像に写っている人物は関係ありません。
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